ブログ 〈創立記念日〉へ向けての放送朝礼 (2012/1/17(火))

〈創立記念日〉へ向けての放送朝礼 (2012/1/17(火))

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 おはようございます。今週の金曜日は、大正9(1920)年1月20日に本校が綜合中学校として設立を認可されてから92回目の創立記念日となります。そこで今朝は、上級生の諸君には繰り返しの話題も含みますが、創立者の浅野總一郎翁や学園の来し方についてお話しし、創立記念日を迎えるにあたっての放送朝礼としたいと思います。

 

 諸君も、私たち教職員も、銅像山の總一郎翁の銅像が当たり前の存在として心の中に宿っていますから、逆にその人と形(なり)について、また、92年の学園の歴史について、深く考えることはほとんどないでしょう。浅野学園はただ「浅野總一郎が創立した学校」という、揺るがしがたい、その確固たる認識、それだけで十分ではないかというわけです。しかし、毎年巡ってくるこの創立記念日の時ぐらいはせめて、学園の創立者・浅野翁の事跡や、やがて1世紀になんなんとする学園の歴史についてぜひ静かに思いを巡らせてほしいと思います。人としての存在価値をアイデンティティと言いますが、そうすることは、いまこの学園で学び、クラブ活動や学校行事に打ち込む君たちの存在の意味、即ち、浅野生としての諸君のアイデンティティを模索することに他ならないと思うからです。そして、これは私立の学校として当たり前のことですが、近い将来には、新入生のオリエンテーションの中で、創立者や初代学校長の掲げた「建学の精神」や、これまで多くの先生、卒業生が築いてきた学園の歴史を教えることをぜひやらなくてはと考えています。

 

 昨年のこの放送朝礼は創立者・浅野總一郎翁が行った事跡についての話でした。今年はその一部を繰り返しつつ学園の「建学の精神」についてお話ししたいと思います。以下、「總一郎」として敬称は略します。

 總一郎は、金儲けといった卑小な目的ではなく、とにかく事業を起こすのが好きでならなかったようで、稼いだ金はすべて次の事業に注ぎ込み、多岐にわたる事業(今日の名だたる一流企業の礎を築いたのですが、これについては今年は繰り返しません。銅像の裏の銘板を読むなり、図書館の記念誌やインターネットで調べるなりしてください)に手を広げました。そして驚くべきことに、江戸時代の終わりから明治にかけて、早くも遠く世界や日本の近代化に目を向けていた、今日言うところのグローバルな視点の大きさ、確かさと行動力には驚かされます。思うに總一郎は、理屈や権謀術数とは無縁の「行動の人」「実行の人」でした。しかし、その多くは人のやらなかったことへの、いわば時代の先頭に立っての新しい事業への挑戦でしたから、試行錯誤の果ての失敗や挫折も多くありました。東京・横浜に出てくる前の富山時代はむしろ失敗の連続と言ってもいい。しかし總一郎は持ち前の行動力によって、あるいは遠くの目標を見る目を失わないことによって、何度も難局を乗り越えて事業を成し遂げていったのです。その總一郎が、晩年に行き着いたのは、つまり、物作り・時代作りの果てに到達したのは、唯一〈人作り〉という一地点でありました。それが、大正9(1920)年に創立された我が浅野学園であり、總一郎の生き方がそのまま学園の校訓「九転十起」となったわけであります。

 

 学園創立にあたって總一郎がまずしたことは、絶大な信頼を寄せて同志社大学から招いた水崎基一先生(遅刻坂を登りきったところにある黒い胸像)をアメリカに派遣して自分が目指す学校のモデル校とした実学中心のゲーリーシステムの視察でありました。そしてその後は、總一郎は創立の趣旨や教育についての自分の意見をまったくといっていいほど残していません。あとは初代校長・水崎先生を信頼して全てを任せました。金は出すが口は出さない。理屈ではない「行動の人」の面目躍如といったところです。一方、水崎先生は格調高い文語文で『建学の趣意書』を一冊の本として残していますが、その内容のごく一部を口語文に直して紹介すると、たとえば、「(浅野綜合中学)設立の当初から自分の頭に深く刻んでいたことは、実に中学教育は生徒の一生の性格を確立すべき最も重要な時期であるということである。人の性格は13、4歳から18,9歳までの間にその根本を築くものだが、この時期こそまさに少年の中学生活である。だからこそこの時期は人生においてもっとも重要な、(生徒が)困難を伴う青春の時期として、教育者が最も苦労しなくてはならないはずである・・・」、またそれに続けて「本校も最初から、この責任の重さを感じて、いろいろな面からまず人を作ることを中心として、その精力を傾けてきた・・」、さらには「学校もまた一つの社会であるから少年の時代に為すべきいろいろなことを経験させ、社会常識を養うことは中学教育において特に留意しなくてはならないと信じて、この10年の間そのことに努力してきた」とあります。

 ここには〈人作り〉の大切さ、人と人とのつながりの大切さという、今日、本校が伝える教育理念がそのまま書かれていることは諸君にもわかってもらえるでしょう。そして、水崎先生は敬虔なクリスチャンでした。教育に必要なことは「愛」であると強調しています。ここに「愛と和」というもう一つの校訓が生まれたわけです。

 

 いま、昨年3月11日の東日本大震災の復興の困難に思いを致す時、先行きの見えない国の混迷に戸惑う時、まさに總一郎翁のような「行動の人」こそが待たれます。また、水崎初代校長の言う「愛」──他人への思いやりや「優しさを持つ人」こそが望まれます。そしてそれは、浅野翁や水崎先生の建学の精神を受け継ごうとしている君たち、浅野生諸君こそ、その人であるはずです。その人にならねばいけません。言葉を換えて言えば、總一郎翁が示した「強さ・逞しさ」、そして水崎先生が願った「優しさ・思いやり」を併せ持つ浅野生になってください。将来の浅野を、ひいては日本の国を支える真のリーダーであらんことを諸君にお願いして、創立記念日へ向けての朝礼といたします。