ブログ 教養講座「言葉の大切さについて」

教養講座「言葉の大切さについて」

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 2016年5月14日(土)放課後、映画『心が叫びたがってるんだ。』(通称『ここさけ』)を題材にして、「言葉の大切さについて」という教養講座を実施しました。

 この映画は、心因性失声症(ただし、作中では具体的な病名は明示されません)とされる女子高生(成瀬順)を軸とした高校生4人のメインキャストの葛藤や、「言葉」の功罪、コミュニケーションの難しさに関するメッセージを強くもった青春群像劇です。「言葉の大切さ」を実感することを通じて、優しさや他者への思いやりを涵養する情操教育にふさわしい題材として選びました。

 4人の所属するクラスは、「地域ふれあい交流会」で保護者や地域住民に発表する出し物として、担任の音楽教師のはたらきかけによって「ミュージカル」をやることになります(劇中劇ということです。ミュージカル映画『オズの魔法使い』の劇中歌Over The Rainbowなど既成曲のメロディも登場します)。最後にミュージカルは大団円を迎えますが、その過程で4人は「言葉の大切さ」に気づき、人間として成長していきます。

 まず映画の鑑賞後、作品に対する感想・意見を書いてもらいました。

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 そして発表です。生徒の意見を抜粋します。

「自分の本音を言い出せない人にとって、音楽やコスプレなどは、自分という概念を気にせずに、普通ではできないことができるツールだと思いました。」(高1)

「作品中で玉子にたとえられているように、人はみな自分の殻に閉じこもっている。それは人それぞれ違っているが、成瀬順の場合は言葉にすることだった。その殻を自分から破ることで人は成長するのかなと思った。」(高1)

「普段言いたいことを言える仲間がいるということは、幸せなことだと思う。言葉を使って思いを伝えることで、相手の気持ちを理解してあげられるし、自分の気持ちを理解してもらうことができる、という当たり前のようで難しいことに気がつけて良かった。何気なく発した言葉が傷つけてしまうことがあるから、ただ自分の思っていることを次々に言うのではなくて、相手の意見・思っていることを考えて発言するべきだと思う。」(高1)

「よく『包み隠さずありのままを伝えなさい』というフレーズを聞くが、これは本当に難しいと思う。いざ伝えようと思って伝えたとしても、嫌われるのではないか、怒らせてしまうのでは、と遠慮してしまうからだ。実際に自分自身がそうである。そして今の時代、通信機能が充実するにつれて、大事な連絡、告白等もメール、ラインで行うことが少なくはない。直接話して、伝えるのが大事。本音を伝えられる人間になりたいし、本音を伝えることができる友人を増やしたい。」(高1)

「自分が発する一つ一つの言葉に責任をもって話すべきであり、相手に対して悪いことを言った時に後悔しないように、常に相手に対する言葉は、傷つけないようにしなければいけないと思います。」(高1)

「言葉の力は強いというメッセージを悪い面から良い面へと両面で伝えていた。言葉を伝えることが大切なのは理解できたが、実際それを実行することは難しい。」(高1)

「伝えたいという成瀬順の気持ちが、他の人の気持ちを変えている。」(中3)

「言葉は相手を傷つけるだけでなく、幸せにもする。自分の思いは言葉にしなければ伝わらない。」(中3)

 他の生徒の意見をきいた反応も書いてもらいました。通常授業は学年別・クラス別ですが、教養講座は学年の枠を越えて開かれるので、ふだんとは異なる生徒同士の相互作用が期待できます。

「1つの映画から、色々な視点で観ることができる人はすごいな、と思った。広い視点で物事を見られるようになるといいと思う。」(高1)

「みんなが僕よりも何重にも深い感想を言っていて、すごいなと思いました。」(高1)

「他学年の生徒と意見交換をする機会は初めてで、新鮮だった。自分が全く気づかなかった点が分かってよかった。」(高1)

「何人かは、自分がまったく思いつかなかった意見を言っていて、それによって新しい面を発見することができた。」(高1)

「高校生が映画の内容と自分をこと細かに説明していて、レベルの違いに驚いた。」(中3)

「自分に比べて、高1の先輩の感想や意見はしっかり物語を読み取っていて、驚きました。」(中3)

 確かに、中学3年生が指摘したように、高校1年生の分析は深いですね。映画から読みとれるメッセージを応用したり、自分の問題に引きつけて考察しています。仲間や友人のことをよく考えているのも印象深いです。

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 その後、担当教員による作品分析を行いました。プロットをたどっていって、どこに伏線が張ってあるか、どんな言葉遊びが用いられているか、また『オズの魔法使い』との関係で分析するとどうなるか、といったことを提示しました。すでにこの映画を観ていた生徒もいましたが、新しい発見があったようで良かったです。

 それから、「言葉の大切さ」という今回の主題をより深く理解してもらおうと、心因性失声症をはじめとした、言葉・コミュニケーションに関する症状について、医学的な内容もふまえて説明をしました。たとえば次のようなことです。

・失声症を、脳の損傷によって言語能力が損失する「失語症」と混同してはならない。
・ストレスによって自律神経のはたらきに異変が生じることと、発声はどのような関係にあるのか。また、心因性失声症はどのように改善しうるのか。
・吃音症とは何か。(吃音は私が担当している世界史とも関係が深いので、個人的に色々調べています。)
・緘黙症(とくに場面緘黙症)とは何か。

 言葉を自在に操れる人でさえコミュニケーションは難しいのに、失声症、吃音症、緘黙症などの症状を抱えていたら、なおさらコミュニケーションが難しくなります。ただ注意すべきは、これらの症状が見られるからといって、その人がまったく話せないわけではないということです。失声症でもとぎれとぎれに話せることもありますし、吃音症でも流暢に話せることがあるのです。いずれにしても個人差があり、病気か否か、1か0かで割り切れる話ではありません。また、歌や独り言では吃音が出ません。

 また、話したくないわけでもありません。まさに「心が叫びたがってる」状態です。吃音症について、この状態を理解しようとするなら、押見修造『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』(太田出版、2012年)をおすすめします(映画『英国王のスピーチ』などの理解にもつながる教育的漫画なので、図書館に入れてもらいました)。

 その他、日生マユ『放課後カルテ』(講談社)という漫画の8・9巻に場面緘黙症が描かれています(小児科医が学校医として小学校に赴任する、という筋書きの医療漫画です)。吃音症と異なり、失声症や緘黙症だと歌をうたうことも難しい場合はありますが、『ここさけ』の成瀬順も『志乃ちゃん』も『放課後カルテ』の緘黙児も、みな歌の場面で自分の殻を破っていることは、偶然でしょうか。吃音者を描いたドラマ『ラヴソング』も今回の主題に関係しますが、歌を通じて自己表現をする点で、やはり共通しています。

 こうした症状を知ったうえで、ある生徒は「世の中には色々な人がいて、苦しんでいる人もいるので、『言葉』という観点からでも、そのような人たちのことを考えられるような人間になりたいと思った」と書いていました。考え、そして行動に移してほしいと思います。

 また、別の生徒は「コミュニケーションはただの情報交換でなく、気持ちの伝え合いだと思いました」と書いていましたが、これは本質をするどく突いており、「筆談」よりも手話で会話したいと思うろう者の想いにも通じています(筆談だと、最低限の用件伝達で終わることが多く、本人の気持ちを伝えにくいのです)。手話については、教養講座「手話を学ぼう」でやりました。

 それから、主題とは外れますが、社会科教員としてぜひ盛りこみたかったのが、コンテンツツーリズム、「聖地巡礼」についてです。具体例として、スタジオジブリのアニメ映画『耳をすませば』と聖蹟桜ヶ丘の関係をあげました。ある作品(とくにアニメ)のファンが、その作品のロケ地・モデル地を訪問するという形の観光のあり方を「聖地巡礼」と呼んでいます。これは、アニメに限りません。「ハリー・ポッター」のファンが、ロンドンやオックスフォードに行く、というのも広い意味でこれに当たります。こうした観光行動や、これを活用した観光振興・地域振興のことをコンテンツツーリズムといって、最近注目されている取り組みです。

 『心が叫びたがってるんだ。』の場合は、原作者が同じ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』というアニメの舞台と重なっていて、埼玉県秩父市・秩父郡横瀬町が「聖地」であり、実際にファンがその地を訪れることで地方活性化につながっています。ちなみに、アンケートで生徒に「聖地巡礼」してみたい作品はありますか、ときいてみたところ、次のような作品があがりました。『ガールズ&パンツァー』(茨城県の大洗町)、『千と千尋の神隠し』(愛媛県松山市の道後温泉本館などが参考にされたといわれます。台湾にもそうした場所があります)、『orange』(長野県松本市)、『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』(千葉県千葉市。たとえば、千葉都市モノレールが本作品とコラボしていました)。こうした例はたくさんあり、聖地巡礼によって日本一周できるほどです。

 話を主題に戻しましょう。生徒たちも的確にとらえていた通り、この映画には、言葉の善悪二面性、言い換えると、言葉は人を傷つけることもするし、一方で人を救いもする、ということが描かれています。映画の副題は「Beautiful Word Beautiful World」。美しい言葉が美しい世界をつくる、というわけです。しかし、その一見当たり前のことが難しい。

 最後に書いてもらったアンケートでも、生徒はこんなことを書いていました。

「ほとんどの人が『言葉の持つ二つの特性を理解して、気をつけて使いたい』と感想を述べている。しかし、実行できている人間は少ない。やはり、言葉を操るのはとても難しい。」(高1)

「こういう映画を観て、理解することはできても、実行することは難しいのですが、たまにでも思い出して実行したい。」(高1)

「同じ言葉でも様々な意味でとらえることができてしまうため、そのことを互いに認めながらコミュニケーションをしなければならないと思う。」(高1)

 実際、純粋に美しい言葉を、そして人を傷つけない言葉を、ずっと使いつづけられる人はいないでしょう。だから、こうした意識が高まったということだけで、担当者としては講座を開いた意義があったと思います。
 美しい言葉が美しい世界をつくるのならば、「言葉の大切さ」を生徒に、社会に訴えつづけるしかありません。今回のような講座をつうじて「言葉の大切さ」を改めて意識できた生徒がいるならば、今後彼らとかかわる人にそのことが広がり、より良い社会が、「優しい世界」ができていくはずです。

 これがとてもゆっくりとした変化だとしても、実際に世界を変えることができるのならば、それは「奇跡」(作中でミュージカルをしかけた担任のセリフにある言葉です)だといってもいいでしょう。たとえば、選挙の際の投票が、世界をより良い方向に変える可能性をもつのと同様、教育にもそれが可能なのです。

 ところで、浅野生は根が優しい生徒ばかりですが、もともと内在している良い性質も、本人が気づかなければ、あるいはそれがスイッチ・オンの状態にならなければ、自信ももてません(『オズの魔法使い』でドロシーがめぐり会うカカシ、ブリキ、ライオンがそうだったように)。

 生徒諸君には、グローバル人材としてたくましく成長しつつも、優しさを持ちつづけ、それを日本語・外国語問わず「言葉」にしていってほしいと思います。では、「優しさ」とは何でしょうか。私がかつて卒業生に送った「言葉」から引用して、筆を置きます。

 「優しさは強さである。人を守り、幸せにできる強さである。」

(文責:教養講座担当 橋本)