本校では学業・部活動・学校行事の三本柱を軸としたバランスを重視した教育を実践しています。
学校行事や部活動では、学年を縦断した交流によって育まれる人間関係や、仲間とともに目標に向かって協働し、勝利の喜びや敗北の悔しさを分かち合う経験など、主体的に物事を考え、自分の生き方や人生のモチベーションを見つけ出すための数多くの機会を準備しています。
学力だけでなく、他者を思いやり、きちんと挨拶ができ、時間や約束を守るなど、当たり前のことを当たり前にできる男子を育てる。
そんな教育が本校にはあります。
本校の校訓の1つは校歌の中に謳われています。校歌2番の歌詞にある「九転十起」です。浅野總一郎翁の建学の精神を象徴するものが、この〈九転十起〉という志です。さらに3番の歌詞に「為すべき務めを為したる果てに」というフレーズがありますが、〈九転十起〉の志を持って〈為すべき務めを為し遂げる〉、この精神が2020年に100周年を迎える本校の建学の精神です。大きな目標は一度で成し遂げることは難しい。失敗を恐れず、努力を重ねて目的を達成する。この<変化>と<多様性>に富む社会を生き抜いていくのに、「九転十起」の精神は何よりも必要な姿勢であると考えます。
2015年朝日新聞の神奈川版の連載企画『青春スクロール』母校群像記で浅野高等学校を取り上げていただいた際、卒業生の言葉の中にも浅野学園といえば「九転十起」という文言が多かったことが印象的でした。
もう1つの校訓は、〈愛と和〉、初代校長水崎基一先生の教育理念を反映しています。他者への思いやり、気遣い、連帯力、協働力を養うことを目指します。
中学・高校時代、12歳から18歳までの6年間に出会い、経験することはその後の人生に大きな影響力をもち、大きな宝物です。浅野中学校・高等学校での6年間とは、互いに競い合いながら確かな学力を身につけ、さらには生涯に渡る友人を見つけられる6年であってほしいと願っています。
自主独立の精神、義務と責任の自覚、高い品位と豊かな情操とを具えた、心身共に健康で創造的な能力をもつ、逞しい人間の育成に努む。
本校は1920(大正9)年、実業家・浅野總一郎翁によって創立された。当初はアメリカのゲイリー・システムという勤労主義を導入し、学内の一角に設けられた工場による科学技術教育と実用的な語学教育を特色としていた。戦後まもなく中高一貫体制を確立し、70年代から進学実績を飛躍的に伸ばし、現在では神奈川県有数の男子進学校として高い評価を得ている。広大な校地の半分が通称「銅像山」の森林という恵まれた自然環境と、充実した教育施設の中で、生徒たちは明るく自由な学園生活を送っている。毎日の教科の学習に、学校行事に、部活動に、積極的に取り組みながら、一人ひとりが持つ能力・適性を発見し、それを高め、深めていく姿勢を身につけるよう日々精進を重ねている。
1920年 | 浅野綜合中学校の設置が認可。水崎基一が初代校長に就任。 |
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1923年 | 関東大震災により校舎の大部分が被災。 |
1924年 | 学友会活動(現在の部活動)を開始。 |
1935年 | グラウンドを造成。 |
1937年 | 野球部、第23回全国中等学校野球選手権大会出場。(夏の甲子園:その後1938年(ベスト8)と1948年と通算3回出場) |
1939年 | 野球部、第16回選抜中等学校野球大会出場。(春の甲子園「センバツ」 |
1943年 | 創立者銅像(初代)を金属供出。 |
1945年 | 空襲により木造校舎全てを焼失。 |
1948年 | 学制改革により浅野学園中学校・浅野学園高等学校となる。 |
1951年 | 財団法人から学校法人に移行し、学校法人浅野学園となり、校名は浅野中学校・浅野高等学校となる。 |
1958年 | 創立者銅像を再建。 |
1971年 | 鳥獣保護区に指定される。 |
1987年 | 校舎改築。現在の中学校舎が竣工。 |
1995年 | 校舎改築。現在の高校校舎と本館が竣工。 |
2008年 | 併設型中高一貫校となる。 |
2014年 | 清話書林(図書館)・打越アリーナ(体育館)が竣工。 |
2016年 | 大グラウンドを人工芝化。 |
2020年 | 創立百周年を迎える。銅像周辺に記念広場を整備。 |
2020年 | 古梶裕之が第10代校長に就任。 |
2021年 | 中学生全員に個人端末(Chromebook)を導入。 |
浅野中学校の校章は、浅野綜合中学校の時代から受け継がれているもので、三つのAと月桂樹から形作られています。
Aは浅野の頭文字であると同時に、アルファベットの最初の文字でもあり、”一番・優秀”という意味を持たせています。
浅野綜合中学校は、大正9(1920)年に「智能啓発」 (知育)「品性陶冶」(徳育)「体育励行」(体育)などを内容とする「綜合的教育」を実践して「有用の人材」を育てることを期して創設されました。Aを三つ合わせて綜合教育の内容の”知・徳・体”を象徴させています。
三つの「A」の間にある「中」は中学校を表します。
校章を包む二枝の「月桂樹」は、古代ギリシアで月桂樹の冠を競技の優勝者などに名誉のしるしとして与えたことにならい、浅野生に与えられる”勝利の冠”を意味します。そこには、勝利という結果だけではなく、勝利を目指して自らを鍛え、何度失敗しても起き上がって挑戦をする勇気を持てほしいという願いが込められています。
また、戦後の学制改革で高等学校が併設された際に、「高」に置き換えた浅野高等学校の校章も作られました。
これは校歌の最後に歌われる言葉です。
創立者の浅野總一郎翁は努力のひとでありました。その生きる姿勢を表した<九転十起>という言葉は、本校の校訓のひとつです。失敗をすることは必ずしも悪いことではありません。大切なのは、失敗をしても諦めずに、もう一度そこから学んで、挑戦をしていくことです。前に進む努力を重ねる精神です。本校は努力をすることを評価して、諦めないこころを育てる学校です。
その使命は社会に奉仕をし、貢献できる人材育成です。そのためにも、大好きなこと、興味をもてることをみつけ、自分の進むべき道を探すことはとても大切なのです。答えは自分のなかにあります。日常に展開される授業や部活動、学校行事などに真剣に取り組み、いろいろなことを感じて、考えれば、そこに新しい何かが見えてきます。その上で、人に奉仕をすること、周りの人と協力をして誠実に物事に向きあうこと、失敗をしても諦めずに挑戦をすることにこだわってほしいと思います。
この場所で6年間を過ごすなかで、自分の将来の夢、一生の友、うまくいくこともいかないこともあわせて、大切なものをたくさんみつけてください。それが生徒諸君のかけがえのない財産となります。
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