【渋沢栄一氏と浅野総一郎】渋沢栄一氏を描いたNHKの大河ドラマ「青天を衝け」12/26の最終回まであとわずかとなりました。渋沢氏は本校の創立者の浅野総一郎ともご縁が深い方です。
本校で保管している、写真の中に、浅野総一郎の銅像(初代)の創建時の式典に渋沢栄一氏の姿と浅野総一郎がともに写るシーンがありますのでご紹介します。
なお、この銅像は戦時中に金属の供出によって一度失われ、戦後、1回り小さく再建されて現在に至ります。台座は当時のままですので、台座と銅像のバランスが変わりました。
本校の創立者の浅野総一郎は、渋沢栄一氏の助けを借り、また、協業し、セメント製造をはじめとし、様々な事業を興しました。
両者は世の中に貢献するための仕事をする志をともにしていました。
渋沢氏の引退した後、浅野が経営する東洋汽船がピンチに陥ったり、京浜工業地帯の埋め立てを実施する際には、将来の社会のために貢献する事業に理解を示された安田善次郎氏の力添えがありました。(JR鶴見線の安善という駅名にそのときの感謝が込められているそうです。)
さて、浅野総一郎の関わった数多き事業の中に日本昼夜銀行・日本昼夜貯蓄銀行という、夜間営業をする先進的な銀行がありました。こちらの銀行は、安田善次郎氏が興した安田銀行(→富士銀行)に合流し、さらに、今世紀になってから、渋沢栄一氏の興した第一銀行(→第一勧業銀行)とも合流し、現在のみずほ銀行に引き継がれました。
こうしたご縁はそうした三者の志と少なからず関係があるのだろうと推察します。
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